判例 Law Case
知財高裁 平成19年7月19日判決
(平成18年(行ケ)第10487号)
1.事件の概要
実施可能要件を充足することを示すために、出願後に追記データ(実施例は酢酸ビニルとn-ブチルアクリレートを併用した酢酸ビニル樹脂系エマルジョンであるのに対し、酢酸ビニルのみを用いた酢酸ビニル樹脂系エマルジョンのデータを追加)を提出したが、追記データは参酌されず、実施可能要件を充足していないと判断された。
2.本件特許発明(特許第3522729号)
【請求項1】(訂正後)
重合開始剤として過酸化⽔素を⽤いシード重合により得られる酢酸ビニル樹脂系エマルジョンからなり且つ可塑剤を実質的に含まない⽔性接着剤であって、
測定⾯がチタン製円錐-ステンレス製円盤型のレオメーターを⽤い、温度23℃、周波数0.1Hzの条件でずり応⼒を⾛査して貯蔵弾性率G’を測定したとき、その値がほぼ⼀定となる線形領域における該貯蔵弾性率G’の値が230~280Paであり、且つ
測定⾯がチタン製円錐-ステンレス製円盤型のレオメーターを⽤い、温度7℃の条件でずり速度を0から200(1/s)まで60秒間かけて⼀定の割合で上昇させてずり応⼒τを測定したとき、ずり速度200(1/s)におけるずり応⼒τの値が1200~1450Paである⽔性接着剤。
3.知財高裁の判断
知財高裁は、実施可能要件を充たすといえるためには、明細書の発明の詳細な説明自体に特許に係る発明が実施可能なように記載する必要があり、その記載にない事項を後の実験等により補うことが許されないとして、実施可能要件を充足していないと判断した。
(判断理由の要点)
・物の発明における発明の実施とは、その物を作りかつ使用できることをいうから、発明の詳細な説明にその物の製造方法が具体的に記載されていなければ、実施可能要件を満たすとはいえないというべきである。
・訂正発明1は、酢酸ビニル樹脂系エマルジョンからなり、その貯蔵弾性率G’、ずり応力τがそれぞれ所定の値となる水性接着剤であるところ、貯蔵弾性率G’、ずり応力τを所定の値とするための方法に関しては、訂正明細書1には、【0046】として、シードエマルジョンの種類や添加量、シード重合に用いる酢酸ビニルの添加量、・・・特に、重合開始剤である過酸化水素水の添加量などが重要である、などと記載され、多数の因子が列記されているのみで、これら多数の因子を具体的にどのように調整すると貯蔵弾性率G’とずり応力τの値が如何に変化するのかについての記載がなく、一義的に理解することができない。
・酢酸ビニル樹脂系エマルジョンを形成する際に用いうるモノマーには多種多様なものがあり、実施例1ないし3で用いられているn-ブチルアクリレートはその1つにすぎないが、これら以外に、貯蔵弾性率G’とずり応力τを所定の値に調整した酢酸ビニル樹脂系エマルジョンを製造する具体的な方法の記載は全くないので、酢酸ビニルのみを用いて製造されるエマルジョンの場合及びn-ブチルアクリレート以外のモノマーを酢酸ビニルに併用する場合に、貯蔵弾性率G’及びずり応力τについて所定の値を満たす水性接着剤を製造する方法についての記載はないということになる。
4.実務に関するコメント
・本裁判例は、後の実験により補うことが許されないとし、特許権者の追加データを参酌していないが、一方、審決では、本件特許明細書の実施例について、いずれもn-ブチルアクリレートを酢酸ビニルに併用しているものであるが、このn-ブチルアクリレートを添加しない外は、実施例に即したサンプルエマルジョンが、貯蔵弾性率、ずり応力や、低温成膜性や接着強度の点で実施例と同等の性能のものとなるか否か検討し、同等の性能であれば、n-ブチルアクリレートを併用した実施例であっても、当業者の手掛かりになると考えることに無理はないと考えられるとしている。この判断から見れば、例えば、明細書に記載されている実施例でn-ブチルアクリレートを添加しない以外の点が同一の例である場合に、対応する実施例と同等の貯蔵弾性率G’及びずり応⼒τの値が有することを実証できる際は、そのデータが参酌される可能性は残されているように思われる。
詳細は以下の判決文をご参照ください(特に33~44ページをご参照ください)
https://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/981/034981_hanrei.pdf
(担当弁理士:植田 計幸)